長男は小学1年生の時、長女は小学生高学年の時に不登校になりました。
現在、長男は大学を卒業してフリーターとなり、長女は大学2年生です。
ちなみに次女は不登校にならず、高校生活を満喫しています。
今回は子供が不登校になった時の接し方について、体験談を交えながらご紹介したいと思います。
[char no=”1″ char=”たくお”]誰もが不登校になる可能性がありますからね[/char]
目次
初めは腹痛を訴えていた
長男は、初めは学校に行きながらも腹痛を訴えていました。
しかし、クリニックを受診してもどこも悪くはありません。
このような状況がしばらく続きある時、医師が「どこも悪くはありません。学校に行くのが辛いのかも」と話しました。
親としては学校に行きたくないという長男の気持ちを微かに気付きながらも、どうすれば良いかわかりませんでした。
不登校が顕在化し、妻はパニックに
ある時長男は「学校に行きたくない。教室に入れない」と言いました。
このような状況になると親としては無理に学校に行かせることに戸惑いを感じます。
でも、どう対処して良いのかわかりませんでした。
とりあえず、担任と保健室の先生に相談して、保健室登校を試みることになりました。
この時、妻は「自分の育て方が悪かったのか」と半ばパニックになり、思い悩む日々が続きました。
私は学校に行きたくないのなら行かなくても良いという考えだったので、ある程度冷静に事態を受け入れていました。
保健室登校が続いたものの行事には参加できない
親が付き添っての保健室登校が続きました。
それも午前中のみ、ということもありいつになったら「まとも」に登校でき教室で友達と遊べるのか、先が見えません。
夫婦共働きということもあって、どちらかが仕事を休まなければならず、職場の同僚の理解を得るため会議で相談したこともありました。
同僚の理解が得られて、仕事を休むことにも心の負担が軽くなったような気がします。
ただ、保健室登校も休むことがあり、その時は職場に長男を連れて行きました。
運動会などの学校の行事には参加できず、親と一緒に父兄観覧席から友達の演技などをみるということも続きました。
遠足にも親が付き添って参加。
とにかく、友達との接し方がわからず、躊躇しているという感じでした。
辛いのは子供、とにかく休養が必要
学校に行けなくて一番辛いのは子供です。
緊張感が続き、心と体が疲れ果てているのです。
ですから、とにかく休養が必要でした。
ただ、親としてはどうしても焦ってしまって、無理難題を子供に押し付けがちになります。
言葉では「休んでいいよ」と言いながら、本心は「早く学校に行ってくれ」と思うことがあり、それを子供が敏感に感じとります。
心の底から「休んで良いよ」と言えるためには親が変わらなければいけません。
短期間で問題を解決するのは難しく、長期戦になりました。
いい意味で「ほったらかし」にするのが良い
学校に行かないからと言って無理に学校に行けせるのは良くありません。
私は長男をいい意味で「ほったらかし」にしました。
長男が学校を休みたいと言ったときには休ませ、保健室に行くと言ったときには保健室に行くようにしました。
とにかく長男の「わがまま」を聞き入れることが大事だったように思います。
このような状況が2〜3年続いて、徐々に教室にも入れるようになりました。
ですが、教室に入ると緊張してしまって疲れが出てきます。
ですから、教室に入れるようになっても、時々は学校を休みました。
親の考えを押し付けない
とにかく、子供がやりたいこと、興味のあることをやらせてみる。
親の考えを子供に押し付けるのは良くありません。
子供は友達との関係に疲れ、親に気を遣って疲れ、と疲れているのです。
子供が、親が自分を受け入れてくれる、と思ったときに信頼関係が生まれます。
信頼関係が生まれなければ、子供は親に本心を話しませんし親の呪縛を解き放つことも無理でしょう。
小学5、6年生になってようやく学校に行けるようになった
小学1年生の時に不登校になって長い月日を要しましたが、ようやく無理なく学校に行けるようになりました。
ここまでくるのに4年ほど必要でした。
担任の先生や保健室の先生をはじめ校長先生まで加わって対策をしてくれたことが大きかったと思います。
最後に
中学生になってからは不登校の「ふ」の字もないほど、学校で勉強に部活に励みました。
親としては不登校になった時に焦らず長男の考えを尊重して、全てを受け入れてきたことがよかったと思います。
時間はかかりましたが、今は親としての接し方に間違いは無かったと実感しています。
失敗もありましたが、概ね良い方向で対処できました。
子供が不登校になった時、親としては焦りますが、じっくりと構えて子供の好きなようにやらせることが大事だと思っています。